ハチミツのリップクリームが6000万ドル売れるまで

この黄色のパッケージのリップクリーム!私もアメリカのお土産でもらったことがあります。

ハチミツを売り歩きヒッピー的に生活していたシングルマザーの創業者が、リップクリームを販売して、6000万ドル売上するまでのストーリーをHow i built this(ポッドキャスト)で語っているのを大島くんに翻訳してもらいました。

創業者であるロクサーヌは、ヒッピー的生き様のママで、勝手ながら美容商品に行き着いたのは少し意外だったのですが、それでも商品やそのパッケージに込めた思いがとても彼女らしくて素敵な創業ストーリーだったのでシェアします。

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バーツ・ビーズは、はじめはバートが育てるハチから採れたハチミツを、ロクサーヌと2人、メイン州のファーマーズマーケットで売っていたところから始まった。直にハチミツ由来の美容製品を扱うようになり、アメリカ全土に知れ渡るブランドへと成長していった。

ロクサーヌは1970年代に、物質的な世界を離れた生活を夢見てサンフランシスコに移住した。その後当時の彼氏と共に、有り金3000ドルで買える土地を探してメイン州へ行き、オフグリッドな生活を送っていた。子供も2人生まれた。しかし繰り返しの日々を退屈に感じ、満たされる経験を求めて子供を連れ親子3人で暮らし始めた。

1983年にロクサーヌは、トラックの荷台でハチミツを売る髭面のバートとヒッチハイクを通して知り合い、彼のハチミツ売りを手伝うようになった。当初は、ある中学で日に200ドル売り上げたのが最高という規模だった。

直に2人は蜜蝋をもとにロウソクを作って売るようになった。1989年にニューヨークのブティック「Zona」から、テディベア型のロウソクに数百単位の注文が入り、大きな成長を遂げた。しかし、その当時の2人の会計係は、地元にある高校の数学部の、14歳の少年だった。

1991年に、人々の関心をより強く引くのは美容製品だということに気づき、リップバームを売り出した。この年、1年間でバーツ・ビーズは150万ドルの売り上げを達成した。1994年に、より物流面で益があるノースカロライナ州にビジネスを移した。

1999年にバートが退任し、2003年にはロクサーヌも会社の株のほとんどを売り渡した。売上は2000年に3,000万ドル、2001年には2倍の6,000万ドルを突破した。草の根で商品の魅力が伝わり、いわばプル戦略の形でシェアを伸ばしていった。

バーツ・ビーズの美容製品には、共同創業者バートの髭面のイラストが用いられている。これには、美容製品のマーケティングにおいてステレオタイプな女性のイメージが用いられることに違和感を覚えていたロクサーヌの、誰もが自分とイメージを比べて自信を失ってしまうことがないようにとの思いが込められている。

 

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